緊急支援や寄付活動にとどまらず、ヤフーは2012年7月に東北エリア拠点「ヤフー石巻復興ベース(以下、ベース)」を開設し、「復興デパートメント(現:エールマーケット)」やサイクリングイベント「ツール・ド・東北」、若手漁師集団の「フィッシャーマンジャパン」の立ち上げなど、被災地に必要とされる支援を届けようと試行錯誤を繰り返してきた。東北の未来にどのように貢献できたのだろうか。
(進行・文:株式会社オルタナ、撮影:平井慶祐)
※ダイアログは2021年1月に石巻で実施しました。文中の従業員の所属、役職は2021年1月当時のものです。
須永:ヤフーは2012年に新しいミッション「ITやインターネットの力で課題を解決していく『課題解決エンジン』」を掲げました。
そのミッションの下、IT企業である私たちがどのように東日本大震災の復興支援に寄与できるかを検討し、新設されたのが「復興支援室」です。2012年4月に、私と長谷川の2人が復興支援室に配属されて活動が始まりました。
当初は拠点を置くことまでは考えていなかったのですが、被災各地を訪れ、復興支援のあるべき姿を模索した結果、現地に拠点を設け、地域の人たちとともに、復興支援に取り組むべきではないかと考えるようになったのです。
(1)GDP(国内総生産)の大きさや市町村ごとの生産額、(2)従業員数や産業に従事している人の数、(3)被害規模――などの観点で検討し、宮城県石巻市に拠点を置くことを決定しました。
ヤフー株式会社SR推進統括本部CSR推進室東北共創リーダー 須永
長谷川:当時、私たちは「Yahoo!ショッピング」や「Yahoo!オークション(現:ヤフオク!)」など、ネットで商品を販売する部署で働いていました。その経験から、2011年12月には東北の産品を販売するECサイト「復興デパートメント(現:エールマーケット)」を立ち上げましたが、被災地について知らないことも多く、遠隔で支援するには限界があると感じました。
自分たちのスキルやヤフーにしかできないことで貢献したい、それもボランティアではなく、事業を通じて実現したい――。ヤフーの強みを生かし、地元の人と一緒に復興を進めるには移り住んだ方が良いと判断し、事務所を作ることを社内で提案しました。
震災直後から、私も須永も個人でボランティア活動をしていて、その中で見聞きしたことや石巻の人たちとのご縁が、このプロジェクトにつながったと考えています。
吉本:震災当初は、人事課で内部事務を行うセクションにいたので、多くの企業からCSR(企業の社会的責任)の一環として、災害支援を手伝いたいといった要請を受けていました。2012年時点では、まだまだがれきの山が広がっていて、「復興」や「産業の再生」という言葉もありませんでしたね。
産業部に異動してからヤフーの復興支援にかかわるようになったのですが、ここまで地域に根差して取り組んでいただける企業はなかったと思います。
私たち公務員も、あまりにも成すすべがなく、行政の力は限られており、いろいろな人の力を借りないと物事が前に進まないということを実感していました。震災を機に以前のようにお役所的な仕事をするのではなく、民間の力を借りられるのであれば借りていこうと考えるようになりました。
石巻市産業部部長 吉本氏
小林:北海道に次ぐ水産県だった宮城が壊滅的な被害を受け、先が見えない状況でした。石巻は金華山沖が世界三大漁場の一つに挙げられ、豊富な水産物に恵まれており、「勝手気ままな欲たかり」な気質の漁業者が多く、人とかかわって何かをやろうという風土ではありませんでした。
行政の立場としては、協働していかなければ復興は厳しいと考えていました。水産加工の分野では地域を超えた連携が取れるようになっていきましたが、漁業に関してはいかに地域を超えて連携するかが当時の課題でした。
そうしたなかで、ヤフーの支援のもと、「フィッシャーマンジャパン」が立ち上がり、若手を中心に地域を超えた連携が動き出しました。しっかりと根付き、中に入って担い手育成などの活動をしていただいて、これからの展開も楽しみにしています。
宮城県水産林政部長 小林氏
阿部:仮設住宅で暮らしていた2011年の夏、「被災しても漁師を続ける」と決めた段階で、漠然と「旧来の漁業はしたくない」「何かを変えたい」と思っていました。東京でサラリーマン経験もあったので、労働時間や仕事内容を考えると、震災前から漁師は割に合わない仕事だと感じていたのです。
震災で家も失い、補助金をもらって漁業をしても、何千万円単位の借金をすることが分かっていましたから、漁業を再開するハードルは高かったです。それでも漁師を続けることを決意し、何か新しいやり方を探していました。
長谷川さんに出会ったのは、ベースができる少し前。養殖したワカメを収穫した後で、どのように販路を拡大するか、模索していたころでした。長谷川さんからお話しがあったときは、「よし!」という気持ちでしたね。
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン代表理事 阿部氏
長谷川:「復興デパートメント」のテーマの1つが「ポジティブな情報発信をしながら商品を売ること」でした。
特に水産物系はネットで売るのは難しいと言われていたのですが、阿部さんや漁業関係者の話を聞いて、とにかくやるしかないという思いでした。人材育成やIT化など、復興後にも何か残していけたらとも考えていました。
それでも、一度、絶望的な気持ちになったことがあります。気仙沼でとてつもなく大きな船が乗り上げていて、瓦礫(がれき)の山や焼け野原の真ん中に立った時、本当にネット販売できるのかと、呆然(ぼうぜん)としてしまいました。
吉本:「よそ者を受け入れない」風土があるなか、苦労はあったと思いますが、須永さん、長谷川さんをはじめ、ベースの皆さんには地域に溶け込んで活動していただきました。ヤフーになら、地域を任せてもいいと思えるほどの信頼関係を築けました。地域の人々にも認知してもらえる取り組みや姿勢は他の企業にはないものだったと思います。
そしてフィッシャーマンジャパンのようなとがった活動は、行政の立場ではできないことでした。水産業の担い手育成は全国に誇れる先進的な取り組みで、1つの人材育成のモデルになりました。
小林:サイクリングイベントの「ツール・ド・東北」や「Reborn-Art Festival」など、地域に根差した仲間づくりや人づくりは簡単にはできないものなので、ありがたいと思っています。これからは人づくりとIT化を合わせて取り組んでいかなければと考えています。
阿部:この10年を振り返ると、宮城にとって、水産業にとって一番大きく変わったのは、「変化することやチャレンジすることが当たり前になった」ことですね。とにかく東北は閉鎖的で、地元にいると何もできない気がしていましたが、私だけではなく、多くの人が、何か大きなことができるのではないか、という意識を持てるようになったと思います。
「新しいことに挑戦していい」という風土をつくりたいですし、何か問題が起こった時に選択肢が多い状態をつくっておきたいのです。特に今は、自然災害が多く、海水温も上がり生産量にも影響が出ています。新型コロナウイルスの感染拡大で先行きが見えないなかでも、この10年で得たことが役立っています。
1人で頑張り続けるのは難しいですし、継続して初めて周りに認知され、意識が変わっていきますので、こうして活動を続けられたのは、やはりヤフーの支援があったからこそだと思います。
長谷川:パソコンに向かって仕事をしているだけでは得られない経験でした。物事を成すために必要な関係構築や、いろいろな人たちの意見を聞きながら最適なプロセスを探ることは、それまでの仕事とは全く違うものでした。
震災から10年の節目として、社内でアンケートを取ったところ、ボランティアなどの活動をしたいと考えている社員が増えていることが分かりました。売り上げや利益だけではない、プライスレスな価値が蓄積して、社内に広がっていった気がしています。生産者のこだわりや東京と地方の関係、地方の価値といったものも活動を通じて学びました。
ヤフー株式会社SR推進統括本部CSR推進室東北共創 長谷川
須永:個人的な話をすると、本当に学びしかなかったですし、人生が豊かになったと感じてます。
もちろん会社としての変化もありました。もともとヤフーはセキュリティが厳しく、オープンスペースがなかったのですが、石巻ベースは、現在の東京オフィスにあるオープンコラボレーションスペース「LODGE(ロッジ)」の原型となりました。いわば新しいオフィスのあり方、働き方の実験台のような意味もありました。
若い社員やシニアの人たちにも、新たな働き方を見せることができたと思っています。東北の皆さんと互いに影響し合って、ヤフーの中にも変化が生まれました。
石巻ベース
吉本:この10年でハード面での復興は進み、あと2年ほどで目途が立つと考えています。しかし、一見復興したかのように見えますが、復興住宅で1人で暮らす高齢者などの問題もあり、本当の意味での復興はまだ
風化はやむを得ないですが、ヤフーの皆さんはこれからも石巻とつながってもらえると勝手に思っていますので、心配していません。
小林:復興が完結していないのは事実です。しかし、復興支援に頼りすぎると、私たち支援を受ける側には甘えが出てくるものです。ある程度の時期で区切りをつけるべきだと思いますし、その後は新しい関係や展開を築いていきたい。そのために、今後は人づくりと並行してIT化なども推進していきたいです。
全国各地でも人口減少が起きていて、数年後には私たちと同じような状況になると思います。そうした地域のモデルになれれば本望で、これから10年が重要であり、楽しみでもあります。今後は、これまでの連携を礎として、新しい石巻の水産をつくっていきたいですね。
阿部:10年前とは状況が変わり、コロナ禍で水産業はますます厳しくなると予想します。そうしたなかで、フィッシャーマンジャパンでの取り組みを通じて、次世代には、地域でも水産でも、課題解決に向けた多くの選択肢をつくっていきたいです。
時代によって変わる課題に対して、私たちが実験台になり、行政やヤフーと連携しながら、その時々の正解を見つけていきたいと考えています。将来的には、ヤフーが私たちを支援してくれたように、こちらからヤフーに提案できるような案件をつくりたいと思っています。
長谷川:もともと復興支援と事業を両立させて「黒字になるまで帰ってくるな」ともいわれており、厳しい目で見ると、民間企業として成果はなかなか出せませんでした。
今は石巻の人たちとコロナ禍に対応するためECを通じた支援を行うほか、次の取り組みとして環境に関連した事業を一緒にできないかと検討しています。フィッシャーマンジャパンも次の段階に移行する時期であり、ベースという拠点がなくなっても、ヤフーとして次の10年に影響を与える事業を起こしたいですね。
須永:これから先日本全体で、人手不足や高齢化など、被災地が直面したのと同じような社会課題を解決していかなければなりません。そのためにはやはりテクノロジーが必要になります。これはヤフーが企業として取り組んでいくべき課題であり、私たちの東北・石巻での経験を生かして、IT化を図ることが使命です。
また私たちが東北で立ち上げたものを100年続く事業にすることが、ベースがなくなっても取り組み続けていくべきことだととらえています。