「サービスの責任者が、そのサービスの使い勝手や課題を把握していないなんてあり得ない」。
出前館CEO・矢野哲は毎月ヘルメットをかぶり、自転車に乗って配達に向かいます。
証券会社やLINEでM&AやIPOを担当してきたファイナンス領域を歩んできた矢野は、自ら出資に関わった出前館にCFO(最高財務責任者)として参画。2024年にはCEOに就任しました。
その後、なぜ構造改革を断行したのか。そして、出前館が描く「時間価値」とはどんな未来なのか。
グループCEOインタビューのシリーズ6回目。今回は矢野CEOに、日本のフードデリバリー市場の可能性と、LINEヤフーグループとのシナジー戦略を聞きました。
- 矢野 哲やの さとし
- 出前館CEO
外資系証券会社の投資銀行業務に従事後、2016年旧LINEに入社。初の日米同時上場のIPO責任者を務め、M&A、ベンチャー投資、IRなどのコーポレートファイナンス業務に携わり、出前館への出資も担当。LINEとヤフーの事業統合のM&A責任者を務めた後、2021年出前館のCFOに就任し、管理体制・統制強化、ビジネスモデルの転換、資金調達などを実行する。2024年9月代表取締役(CEO)に就任。
構造改革を断行。新たなスタートラインを引くための「覚悟」
――矢野さんはファイナンス領域が長かったそうですが、どのような経緯で異業種の出前館に参画されたのでしょうか。
LINE時代、私はM&Aやベンチャー投資、IRなどを担当していました。その中で2016年に出前館の一部株式取得を担当し、さらに「LINEとのシナジーを生かしてフードデリバリーでNo.1を目指す」という構想のもと、2020年に約300億円の出資を決断しました。
その後、M&Aの責任者として取り組んだLINEとヤフーの事業統合がまとまり、それを一区切りとして、新しいチャレンジをしようとLINEの退職を検討していたのですが、出前館をより大きなサービスに成長させてほしいというオファーをいただき、CFOという立場でコミットすることになりました。
――それまで主に大きな組織のファイナンス領域でキャリアを積まれてきた中で、デリバリー業界に完全移籍することに不安はありませんでしたか。
正直に言うと、自分はサービスを作った経験はありませんし、マーケターでもエンジニアでもありません。
ただ、これまで数多くのビジネスモデルや成功・失敗事例を見てきたからこそ、どこに勝ち筋があるのかは見えていました。
だからこそ、成長ポテンシャルのある業界で、優秀な仲間が集まり、それぞれの専門領域で力を発揮すれば、必ずNo.1になれると信じています。また、経営の役割は、その環境を整えることだと思っています。
――その後、CEO就任の打診があったわけですね?
はい。ただ最初はお断りしました。
株価も下がっていましたし、CFOとして責任を感じていてむしろ「自分は身を引く」と取締役の皆さんにお伝えしたこともありました。
――それでも最終的にCEO就任を決断されたのはなぜでしょうか。
まずはデリバリー市場にまだまだ可能性を感じていたことと、出前館を共にNo.1にしたいと思っている信頼する仲間がいたことです。ただNo.1になるためには会社が避けて通れない「選択と集中」と構造改革が必要でした。
本当に強い会社になるためには、それまでの事業構造を抜本的に見直し、持続的に成長できる体制へ転換しなければならなかった。
当時は厳しい状況でもありましたが、その意思決定に関わってきた立場として、最後まで責任を持つべきだと考えました。誰かがその役割を担う必要がありましたので、構造改革を断行し、新しいスタートラインを引くことにしました。
そこから初めて、デリバリー市場でNo.1を目指す本当の挑戦が始まったのだと思います。基盤を大切にしながら、次の成長ステージに向けた改革を爆速で進めました。
社長室を廃止。フリーアドレスの一番手前に座る理由
――CEO就任後、社長室を廃止するなどコミュニケーションの活性化に取り組まれたと聞きました。
はい。社長室は廃止して、私はオフィスに入って一番手前の席に座っています。
出前館はコロナ禍においても多くの方が出社する文化があり、東京のオフィスだけでも約300人の社員がいる中で、できるだけ多くのメンバーと直接コミュニケーションを取りたいと思ったのです。その結果、社員との距離が近くなり、議論のスピードも上がったと実感しています。
私は「仕事の質と信頼関係」を重視した筋肉質なプロフェッショナル集団を目指していて、部門や役職にこだわらない、オープンなコミュニケーションも不可欠だと考えています。
――社内ではLINEヤフー同様に、「No.1」という言葉がよく聞かれるそうですね?
IT業界では、サービスが最終的に勝つか負けるかの明暗を分けるのは「本当にNo.1になりたいと思っている人が社内にどれだけいるか」だと思っています。
また、外資系証券会社時代に教わった「First-class business in a first-class way(一流のビジネスを一流の方法で実践する)」という理念も、業界は変わっても私にとって大切な価値観として生きています。
No.1になるには、当然ですが努力が必要です。その覚悟を持った人たちが集まる組織になれば、勝てると信じています。
――何か工夫されている社内の制度や社風はありますか?
新しいアイデアを積極的に評価する風土があります。また、組織として、失敗を成長の機会と捉えていますから、メンバーが安心してどんどんチャレンジし、成長できる環境を整えています。
風通しもよく、年齢や社歴に関係なく、高いパフォーマンスを発揮してくれるメンバーも大勢います。
浸透率わずか2%。可能性を秘めた巨大市場と「時間価値」
――日本のフードデリバリー市場の可能性をどのように見ていますか?
日本の外食市場の規模は約40兆円あります。そのうちデリバリー市場は約8,000億円程度。浸透率で言うとまだ約2%です。
アメリカでは10%以上、中国や韓国では30%近くまで広がっています。それを考えると、日本市場にはまだ大きな成長余地があります。
調査によると、日本ではまだ95%以上の人が日常的にデリバリーを使っていない。いわゆるマーケティングで言う「キャズム(普及の壁)」を超えていない状態だと考えています。
――その市場の中で、出前館が提供できる価値や強みは何でしょうか。
日本は、労働人口の減少、多様な働き方、女性活躍の推進、子育て支援、高齢社会への対応、過疎地域の活性化など、多くの方が直面している社会課題を抱えています。デリバリーはそれら社会課題に対してもお役に立てる便利なサービスです。
例えば、日本では共働き世帯が増え、1,200万世帯を超えて、子育てや家事と仕事の両立が大きなテーマになっています。忙しい毎日の中で、夕食を準備する時間を確保することは簡単ではありません。
デリバリーを使うことで、買い物、料理、片付けにかかる時間の1時間でも子どもに「テレビを見てて」の時間ではなく大切な家族と一緒に過ごす時間にすることができます。
私たちはこれを「時間価値」と呼んでいます。料理を届けることだけが目的ではありません。
限られている大切な時間の価値をより高める機会を生み出すことこそが、デリバリーの本質的な価値だと思っています。
――そこは日本企業として、強みを生かせるアプローチかもしれませんね。
そうですね。私は、「デリバリー市場こそ、日本企業がテックジャイアントに勝てる領域だ」と確信しています。
まず、私たちは日本市場に特化した戦略と、地域ごとに営業チームを持ち、現場の声を直接サービスやプロダクトに反映できる体制を整えています。
また、LINEヤフーとの連携によるシナジーがあり、巨大なユーザー基盤、広告ネットワーク、他のサービスとの連携ノウハウを活用できる点も強みです。LINEで届くクーポンをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
日本市場や文化をどの競合よりも深く理解している会社ですから、しっかりと差別化して、選ばれ、選ばれ続けるサービスとしてNo.1になります。
――日本各地にある加盟店の課題を解決できるポテンシャルも大きいですよね。
はい。飲食店にとって、イートインやテイクアウトの場合、商圏は半径1km程度です。
しかし、デリバリーを活用すれば、半径5.5kmまで商圏が広がります。面積にすると約30倍に拡大します。
追加の設備投資や人の採用もほとんど必要ありません。包材さえ準備していただければ、配膳や皿洗いなどのオペレーションも増えない。
人手不足に悩む飲食店にとって、デリバリーは非常に合理的な成長戦略になり得ると思っています。
毎月CEO自ら自転車で配達。「現場」を知らずしてサービスは作れない
――矢野さんご自身が配達員として定期的に現場に出ていると聞きました。
はい。毎月定期的に、自転車で配達をしています。
多くの方に驚かれるのですが、私としてはむしろ当然のことだと思っています。
世の中に提供しているサービスの責任者が、そのサービスの使い勝手や課題を把握できていないというのはあり得ないと思うからです。
オフィスで資料を見ているだけでは分からないことが、現場にはたくさんあります。
配達をすると、アプリの使い勝手や動線、店舗のオペレーションなど、細かな課題が見えてきます。配達の後には、あくまでも配達員の1意見としてですが、必ず開発チームにフィードバックを送っていますし、実際改善されたら率直に嬉しいです。ちなみに、配達は今まで知らなかったお店や場所に出会えるし、いろいろな発見も多い体験です。
ランチも出前館でオーダーしたものを会社で食べるときは仕事しながらワンハンドで食べられる食事を選ぶことが多いです。今は「お店価格」で提供いただいているウェンディーズ・ファーストキッチンのウェンディーズバーガーが定番です。
先日、社内で「DeHappyHour」というイベントを開催したのですが、その時もたくさん注文させていただきました。出前館のカフェエリアには、懇親会などで利用できるビールサーバーが設置されていて、イベントが活発に開催されるのですが、社内のメンバーが様々なシーンで多岐にわたる加盟店のお料理を注文していることが多いです!
――配達先の現場で印象に残っている出来事はありますか?
昨年末、寒い日にもつ煮込みを2km離れたところにお届けした先は足の不自由なお客様のご自宅でした。
「本当に助かりました」と声をかけていただいた瞬間、改めて実感しました。
「私たちのサービスは、ただ商品を運ぶだけではない。生活を支えるインフラとして役に立っているのだ」と気が引き締まりました。
――加盟店の皆さまと直接コミュニケーションを取る場もありますか?
はい、もちろんです。飲食加盟店の経営者と会う機会に、「実は先日、御社の商品を届けしました」とお伝えすると、とても驚かれると同時に、喜んでいただけます(笑)。
飲食店の経営者の方はキャリアを現場から始められた方が多く、飲食への愛がすごいので、話をしていると学ぶことがたくさんあります。
そんなみなさんが心を込めて作っている美味しい料理を、より多くの人に届ける。その機会を作れることは、私たちにとっても大きな喜びです。
「お店価格」への挑戦と、LINEヤフーグループのシナジー
――最近の取り組みとして、「お店価格」が話題になっています。
ユーザーアンケートを取ると、デリバリーを利用しない理由の約8割が「お店で提供している価格より高いから」でした。
ユーザーの立場からすると、「お店の味を、同じ価格で食べたい」というのはとても自然な感覚だと思います。加盟店さまのご協力もあり、「お店価格」を実現することで導入店舗の注文数が6〜7倍に増えるなど、大きな反響があり順調に成長しています。
――構造改革があったからこそできた施策ですね。
そうですね。これまでの改革で固定費を下げ、事業が拡大すれば利益が出る財務構造を整えることができました。
市場を広げるためには先行投資が必要です。私たちは短期的な利益だけを見ているわけではありません。
日本のデリバリー市場を本当に大きくする。その中でNo.1になる。その覚悟で取り組んでいます。
――先ほども、グループシナジーの強みがありましたが、最新の取り組みはいかがですか? 今後、どのような展望がありますか?
たとえば、「LYPプレミアム」会員の方々へのアプローチを通じて、これまで出前館を使っていなかった層にもサービスが広がり始めています。同様に出前館を通じて「LYPプレミアム」に入会された方も多くいらっしゃいます。
構造改革の期間は難しい局面もありましたが、今は受け皿となる体制が整い、成長に向けて再びアクセルを踏み始めたワクワクするフェーズです。
新しい構想もありますが、まずはフードデリバリーで圧倒的No.1になることに集中すべきと考えており、引き続き一つひとつの課題に向き合いながら、社会にとって必要とされるインフラへと成長させていきたいと思っています。
取材日:2026年3月5日
文:LINEヤフーストーリー編集部 撮影:倉増 崇史



